ハラスメントを発動する者に不幸になってもらうことではなく、自分達はどう幸せになろうか?を考えませんか?
幸せとは様々な形がありますが、ここで言う真の幸せとは、子供達を健やかに育てたいということ。
子どもたちの未来にポジティブな影響を与えたいと私は考えます。
共感して頂けるならば私の提案に耳を傾けて下さい。
目次
モラハラから脱却したい方への提案
モラルハラスメントとは?⇒精神面へダメージを与える暴力
第三者へそのように伝えても『知っている』と簡単に終止符を打たれることでしょう。
しかし真の当事者ならばそうじゃないんだよ、もっと深くまでちゃんと聞いてよ!なんて心の叫びを不完全燃焼させているものです。
そのリアルな状況を知らない他者へ、その理解を求めるのは困難な作業であり、傷を負っている者には、最も絶望を感じる部分になります。
私が、このような場をつくり世間に呼びかける理由は、理解へ及ばない人の思考を無理やり変えさせるのではなく、子供たちの生き良い未来のため、ハラスメントの知識を自然に浸透させていきたいのです。
『理解して欲しい』と押し付けることは、それも支配でありハラスメントに該当しうることだと、近年ようやく私も理解することが出来ましたので、気を付けたい部分です。
たとえばモラハラから話題は反れますが、発達障害にしても、この記事を書いている今から10年以上前までは、ソレを知っている日本人なんてほぼいなかったことを、私は覚えています。
目覚ましい療育の発展により、今となればその名前くらいは、そんな病が実際にあるのだという知識くらいは、世の中に浸透しましたよね。
変動期であった難しい時代を、私は発達障害児と二人三脚で生きてきたのですが、リアルにこの目で見てきた発展の成り立ちは、盛大なプロジェクトが始動したわけでもなく、エライ人が尊い活動に腰を上げたわけでもありませんでした。
日本人を進化させたのは、あまりにも単純であり、誰にでも出来る事がカラクリでした。
当事者たちの小さな声が今ある進化の大きな要素だったのです。
それらの集結が、行動力のある人々を動かし、行政を動かし、時代の流れの変化を促しました。
それまでの道のりには、もちろん絶望もありました。
無数にある当事者たちの微力な訴えは、誰にも届かない虚しいモノに思えたのを覚えています。
生きづらさを知って欲しいけれど「そんな病気なんてある訳ない」と跳ね除ける周囲との共存が、当たり前の時代でしたので、打っても響かない他者との関わり、その絶望の記憶が、私のこの身と心には焼き付いています。
10年ほど経過し、理由を伝えれば、意味を理解しようとしてくれる人で世は溢れていくことになります。
何が言いたいかというと、『情報によって人間の意識は進化していくもの』ということです。
既に、ハラスメントの周知も、似た原理で広まってきたと感じています。
被害を感じた人が、個々に発するリアルな伝言は、随分と世間に浸透しつつあり、威圧的な言葉や態度での人格否定を目の当たりにすれば、『この人ヤバい』と距離を置くことぐらいの対応に動ける人も増えた気がします。
一昔前は、そういった人の支配下で我慢することが、生きるために必要なことと思い込んでいたのが普通だったと記憶しています。
その中でも、まだまだ深刻なのは、パートナーなどの、身近な者が相手であると、『密室』という地獄が完成してしまう点です。
目に映らない地獄に苦しんできたからこそ発信できる伝言は、エライ人の小難しい論文よりも、密室で身動きが取れない人のお役に立てることでしょう。
また、当サイトでは繰り返し念押ししていますが、『自分の相手方はモラハラなのか?そうじゃないのか?』を追求することに没頭するのではなく、今の辛い状況からどう抜け出すか?を考えるステップに進んで欲しいのです。
幸せを掴むためのプロセスに、『モラハラか否か』を断定する作業は、さほど重要ではありません。
虐めやモラハラは、受け手側が『苛めを受けた』『モラハラを受けた』と思った時点で成立するものです。
相手が、あなたの受け手側になった場合も同じです。万が一、相手があなたから『モラハラを受けた』と感じればあなたからのモラハラは成立します。
当サイトでのモラハラ気質の特徴についての記事は、受け手側視点で構成されていますが、会話が成立しないと感じているのはお互い様です。
誰しも己が被害者だと信じて疑わない、加害者だと言われても自覚が無い構図は、ごく当たり前のものとの概念を前提に、モラハラ特性の記事を参考にして頂ければ幸いです。
『あなたも相手を傷つけたんでしょう?』という指摘をしたいのではなく、そういった意識を持つことが幸せへの近道であるということを、私は言いたいのです。
モラハラの洗脳をまずは解く
モラハラの洗脳からの脱却を目指すならば、被害を感じている人自身が、ハラスメントの実態を理解することが必要になります。
◆自身の受けている理不尽のカラクリを知ること。
◆その理不尽はなぜ起きるのかを学ぶこと。
◆モラハラとはなにかを言語化できるようになること。
それらスペックが備わったころには、モラハラパートナーを高い位置から見下ろすことができるようになるかもしれません。
ここへ訪問するきっかけを掴んだ方は、既に洗脳が解けかかっている方なのだと私は思っていますが、守るべきモノの為に、ご自身の置かれている状況を改めて見直して欲しいです。
日常を振り返ってみても、モラハラな人との日々は、狐につままれたような場面が多々あります。
『何故かまた私が傷つけられて終わった』
そんなことばかりです。
モラハラ特性は、会話の1つをとっても、相手を自分の支配下に置かなければなりませんから、自分が既に決めている着地点があり、そこに向けての誘導システムが、標準装備されています。
思い通りの言葉を聞くためならば、論点のすり替えや、会話のループを延々と続けますよね。
時には、声を荒げる、罵る、という技も駆使して徹底的な人格否定を浴びせてきますので、こちらは完全に混乱してしまうのです。
スタートは何の話だったのかも分からなくなり、気が付けば無理やり納得させられてしまいました。
モヤっとした私と、満足げなパートナー。
何故かまた傷つけられて終わった…のカラクリとなります。
このモラハラパターンを念頭に叩き込みましょう。
いつもパートナーが怒っているのは、自分が悪いと決めつけて流されないでください。
自身の行いを振り返るのは、大切なことですが、相手の勢いに流されて、何もかもを自分のせいにしないでください。
モラハラ被害を人に愚痴りたい時の心構え
モラハラ被害について他者に伝えようとしたことはありますか?
上手く伝えられずにモヤモヤが残って終わっただけという経験が圧倒的に多いでしょう。
私自身も当事者として何度も経験してきましたのでよくわかりますが、「モラハラで悩んでいる」と口走ってしまった癖に、その後は言語化できない残念な展開…
なぜ説明できなかったんだろう?という後悔で心ん中はぐちゃぐちゃ。
できれば修行の成果(モラハラ被害)を発揮したいものですが、わざわざ言わなくてもいいという選択肢もあります。
口を閉ざすことの美しさ…カッコイイですね。
ですが私は心のデトックスをしたい性分でありますので、愚痴りたいという道を選んでしまします。
聞いてくれる相手がいるのならばそうした方が良いのではないでしょうか。
たくさん伝えようとしても相手を疲れさせてしまいますので、軽く馬鹿にするくらいの気持ちでストレスコントロールしてみてはどうでしょう。
・支配欲が強いので、ターゲットが自分の思い描いた通りに行動しなければ気が済まない。
・会話ですら支配下に置きたいので、怒鳴る罵るなどの技を駆使して、既に決めている着地点へと誘導するプロ。
・支配下に置きたいのは定めたターゲット(私)のみなので、第三者には常識人としての顔を見せることができる。
これくらいの基礎知識を会話に投入するだけでも、だいぶんとストレス発散になります。
というか、ここまでの伝言が出来るならば、あなたは既にモラハラの洗脳からの脱却は成功していると言えるでしょう。
モラハラ定義の解説を求められた場合の攻略
”もっとモラハラを知りたい”と言われることもあるかもしれませんね。
大事なパートナーへ対して『いじめ』のようなことする異常性の仕組みをもっと知りたいという人も現れるかもしれません。
あなたの言葉が心に響いたのならば、とても尊いステージであり、いわば応用編へ進めます。
既に察してくれているであろう、異常性を秘めているというお話をしてみるのもアリですが、モラハラ発動には本格的に病が関ってきますので、専門家でもなければ語るのは避けるべきかもしれません。
モラハラ発動に関る人格の病を知れば知るほど、モラハラな人の生育環境の歪みなどの悲しい連鎖が見えてきます。
愛着の歪みが引き起こす、様々な人格の病の説明は非常に困難でしょう。
私の場合、ここで諦めが入ることになり、他者へのそれ以上の入れ知恵は断念することになります。
『教育の歪みとしか言いようがない。子供はちゃんと育てたいよね。』と、終止符を打つことにしています。
この一文に、私の想いは凝縮されていることに、相手は気づかないでしょうけれど。
モラハラ発動の仕組み
ここでモラハラ発動の仕組みについて、わりとガチめで考えてみましょう。
他者に伝える必要はないのですが、知識は洗脳からの完全脱却に役立ちます。
大きく分けて2通りの可能性が考えられる(あくまでも可能性)
①発達障害(脳の障害)
②自己愛性パーソナリティ障害をはじめとする病(人格障害)、愛着の歪み
◆上記①は②は、どちらも認知の歪み等がもたらす物事への視点のズレやコミュニケーション能力(※以下、コミュ能力)の欠如から、生きづらさが感じられる(多くは自覚なし)
・何事にも歪みが生じるために、会話は論点から別物にすり替わってしまう。別物とは、自分本位な展開。
・ターゲットよりも優れた自分でいなければならない概念がとても強く(プライドが高いともいう)、己の無能な部分を隠すために高圧的な態度になる。
・自己愛が強い人間は、会話の登場人物や流れは『自分一人』または『自分中心』という概念が強く、会話の中の他者の存在が上手く捉えられない。
※それらの融合が前提になっているが為に、会話は絶対に噛み合うことがない。・加えてコミュ能力が乏しいゆえに相手へ対して”怒鳴る、罵る、無視する”などの攻撃表現が出る。
・多くは知能的にはしっかりしているがゆえに、ターゲット以外の人間にはそのような特性を隠すことができる。←ココ重要
・ターゲット以外との交流では、好評価を得られるよう徹底することが出来るので、悪くない評価を受け易い。
以上、諸悪の根源は、認知の歪みでありますので、ベースにある病が悪ではないことを伝えておきます。
例えば、発達障害のみが要因となる場合は、とても軽度であるとも考えられます。
なぜなら発達障害者の多くは、他者から受けた指摘について、自身で受け止め、考え、改善の努力をすることが、特性的には可能だからです。
認知の歪みはあれども、モラハラ初期の段階で、悪い部分の指摘をすれば改善が見られる可能性が高いですので、発達障害=モラハラという概念は、私の中ではあまりしっくりいきません。
本格的な異常性を含むモラハラ特性は、人格の病が関るとの見解の方が、あながち間違いではないと言えます。
ですが、モラハラ加害者=人格障害者と紐づけて断言することも慎重にすべきです。
世の中には、過酷な人格障害の治療に専念されている患者さんもおられるからです。
ここで挙げたモラハラ発動と病の関りについては、あくまでも知識として持っておくだけとの心構えがお勧めです。
ましてや、本当にあなたのモラハラパートナーが、人格の病を患っていた場合、本人に告知すると恐ろしいことになります。
怒りという不具合を起こすことにより、病を更に悪化させることになりますが、それはそのままあなたの被害へ繋がることになるからです。
彼らと同じステージに立っても何の得もありません。
モラハラ被害からは逃げるが勝ち
モラハラ被害にあったならば、加害者を絶対に許したくないと考えてしまうのですが、本当に相手に非があるならば、彼らは勝手に不幸になってゆきますので放っておくのが良いでしょう。
具体的に言うと、サヨナラするのが一番良いのです。
お子さんがいらっしゃるならば、ハラスメントを肌で感じながら育った子供たちは、ハラスメント加害者、被害者に成りうることを恐れて下さい。
”教育”という形でハラスメント気質は連鎖していきます。
大事な子供たちの未来の為に、歪みの連鎖を食い止めることが、私たちのすべきことではないでしょうか。
また、ここではパートナー間のハラスメントを前提にしていますが、それ以外のコミュニティではまた違った模索が必要になるのかもしれません。
たとえば職場での被害だと、辞めればよいというわけにはいかないかもしれませんね。
ですが、共通することと言えば、被害を感じた方の在り方なのです。
離婚できない、仕事を辞めるわけにいかないetc.どんな被害パターンであろうが、重要なのは戦うことが目的ではないという志。
・世の中には絶対に話し合ってはいけない人がいます。
・世の中には出来る限り関わらない方が良い人がいます。
・世の中には人を傷つける事なんて何とも思わない人がいます。
共存の道を選ぶならば、そのような人達がいるという現実をしっかりと胸に刻み込み、迷惑行為を上手く回避する術を身につけましょう。