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モラルハラスメントとは?言葉の単独行動
モラルハラスメント定義をひたすらオタクのように模索してきた私は、月日の流れと共に自分の思考の移り変わりを経験しました。
世間を見渡すと、ほんの数年で、モラルハラスメントの知名度が一気に広まった感触があります。
とはいえ、それは私たちが経験した苦しみとは、大きくかけ離れているカジュアル化したモラハラという言葉の独り歩きだと感じます。
これについて、『冗談じゃない!真のモラハラはそんな単純なものじゃない!』と、由々しき事態だと感じていた時期もありました。
ですが、更に時間が経過した今となっては、それが正解であるとも思うのです。
また、モラハラ夫、モラハラ彼氏、モラハラ上司 etc
気がつけば、多くの人がモラハラというワードを気軽に日常に当てはめるようになりました。
誰もがいとも簡単にモラハラ被害者になれてしまう環境が出来あがったことに、苛立ちを覚えた時期もあります。
しかし、それもまた今となっては、それが正解であるとも思うのです。
支配することを目的とした言葉や態度での人格否定や、私たちがひれ伏すまで続く攻撃力が半端ない異常なコミュニケーションは、発している者にとったら『愛情表現』であったりします。それがハラスメントだということがわからないのです。
その歪んだ概念は、愛着の干渉により刻まれた自覚無きもので、本人は自分の何が悪いのか本気でわからないのです。
幼少期から個々に与えられた教育を信じて生きるしかないのは、誰にでも共通するものであり、そういった要因を紐解いていくと、愛着の歪みにより、生きづらく不器用な他者との関り方の課題は、私自身も持っているものだと気づくことができました。
私が模索し続けたモラハラ研究は、まさかの己を知るプロセスでありました。
そして、それを子どもたちに連鎖させてはならないことに気がつきました。
過去に、とても気味が悪いと感じていた経験がありました。私には加害者に見えていた相手が、私のことを加害者だと主張していたのです。
どうしようもなく救いようのない人だと思っていたのですが、ある時から、それはごく自然のことであると腑に落ちるようになったのです。
自分こそが被害者だと思い込んでいたのは、自分が無知だったから。
モラハラをテーマに苦しんでいる方達、全てに共通するのかもしれません。
会話が噛み合わない苛立ちを感じているのは、お互い様。
相手の頭がおかしいと本気で思ってしまうのは、お互い様。
お互いが、各々で課題を抱えて苦しいのです。
結果的に、共存が困難ならば、無理に寄り添う必要もないし、距離を置くか離れるしかないのでしょうが、苦しいのは自分だけじゃないと知ることは、自分自身が幸せを掴むために必要な概念だと感じています。
被害者と自称することで生じる発展途上
前章で上げました『モラハラ』という言葉のカジュアル化の影響で、『自分の相手方はモラハラなのか?そうじゃないのか?』を知りたがる方がとても増えてきたことも上げられます。
もし、とてつもなく苦しい状況にあるならば、『モラハラか否か』を断定する作業よりも、他にやるべき事があることに気づいて欲しいと感じてしまいます。
モラハラという言葉は、問題を複雑化させてしまう呪いの言葉でもあり、状況を良くしたいと考えているならば、不向きです。
己の正当性を証明することで、お心調整をしたいということならば、便利な言葉でもあります。
ですが、人生を長いスパンで見ると、あまりポジティブな選択肢とは感じません。
繰り返しますが、『モラハラ』というものが発生したのであろう、プロセスや要素を紐解いていきますと、そこには、その人の生まれ育った環境をはじめとする、愛着の問題などの切ないストーリーが露出し、相手だけでなく自分にも課題があることに気づくとともに、『どちらも苦しんでいるんだ』という理解に繋がると思います。
そうなると、自らが『被害者』と名乗ることは非常にナンセンスではないでしょうか。
もちろん世の中には様々な被害がありますので、被害者と名乗ることはおかしなことではありません。
ですが、私たちは生きて行かなければなりません。
自らを『被害者』という呪縛に囚え続けていることは、前進の妨げになると言えますし、『被害者』という言葉を自分に向けて放つのは、不健康でもあり危険なことかもしれません。
私が、そういった概念に行き着いた時点で、当サイトでは、自分たちのことを被害者と指す表現を控えています。
どうか誤解しないでいただきたいのは、私自身のスタンスの周知ということであり、けっしてサイト訪問者さんに、思想の押しつけをするものではありません。
また、パートナーとの情緒的な相互関係が築けないことにより生じた身体的、精神的症状はカサンドラ症候群という症状名があります。
カサンドラにかかっているのも自分だけでなく、お互い様です。
共存が長期化するほど、鬱などの脳や心の病を発症してしまうのは、お互い様。
どちらが加害者か被害者かを定める必要はありません。
相手を罵り合うようになるならば尚更、共存の継続は意味があるのでしょうか?
怒りの抑制が困難で、共存の努力ができない組み合わせならば、お互いの為に”離れる努力”にシフトしていきませんか?
まずは、ご自分たちのお心を健康に近づけましょう。
改善に必要なのは悩みをを吐き出し、心からの共感を得られること。
それにより癒され、抜け出そうと思える力が蓄えられます。
私が開放しているLINEオープンチャットは、似た悩みを持つ人たちが集まったグループです。
現在進行形で苦しんでいる人、抜け出せた人、癒しの言葉を紡ぎだせる人、様々なメンバーが集結しています。
あなたの苦しみの声も誰かの役に立ちます。
発言はしなくても参加できますし、入退室はいつでも自由です。
心の整理をすることにより、各々にとってポジティブな選択肢を見つけてください。